歴史

田代湖から信州・別府をつなぐ県道94号線(東御嬬恋線)は、途中、天然記念物・レンゲツツジの群落で有名な湯ノ丸山(2,101m)の東側、標高1,732mの地蔵峠を通過します。地蔵峠の名は、100体の観音像が道筋に祭られていたことに由来し、その100番目が鹿沢温泉にあります。

 紅葉館は明治2年(1869年)の創業。かつての鹿沢温泉には分校、数件の旅館が建ち並んでいましたが、大正7年の大火により、現在この地にあるのは紅葉館のみとなっています。

鹿沢温泉は「雪山賛歌発祥の地」です。嬬恋村の説明版には次のように記されています。
 「大正15年1月京都帝国大学の山岳部が鹿沢温泉でスキ−合宿された。合宿が終わってから後に第1回南極越冬隊長をされた西堀栄三郎氏、京大カラコルム遠征隊長となった四手井綱彦氏、アフガニスタン遠征隊を勤めた酒戸弥二郎氏、並びに東大スキ−部OB で後にチャチャヌプリ遠征隊長をされた渡辺漸の4名が、退屈まぎれに「山岳部の歌」を作ろうと言うことになり、曲をアメリカ民謡「いとしのクレメンタイン」としこれに合わせて皆で上の句、下の句と持ち寄って作り上げたものであると言う。(途中略)今回地元でこれを記念し「雪山讃歌の碑」として、台字を西堀氏直筆にて鹿沢温泉に建立した」。


鹿沢温泉 湯本 紅葉館